ケアリィ・レイシェルに夢中
17歳からチャント(詠唱)を独学で学び、自身のフラ団体(halau)を結成
その後、文化・芸術における州基金からの援助を得て
正式にチャントを学んだ
そしてハワイ大学でハワイ語を学び
ハワイ語復活のプログラムである Puana Leo のマウイ校の設立に関わってきた
PP&M
「PUFF」を想い出す
ピーター・ポール&マリー
50年代から60年代にかけての
フォーク・リバイバルのブーム
それに乗って日本でも
カレッジ・フォーク(マイク真木の「バラが咲いた」を原点とする)の
一大ブームが巻き起こった
ピーター、ポール&マリーは、
ニューヨークのグリニッチ・ビレッジ出身の
インテリっぽいアダルトな雰囲気で、ジョーン・バエズと並んで社会派フォークの代表
として一世を風靡した3人組
ピーター・ヤーロー、ポール・ストゥーキー、そして紅一点のマリー・トラヴァースに
「天使のハンマー」「500マイルも離れて」「花はどこへいった」など
スタンダードとなった名曲が有名だ
幼稚園の子供たちが、「パフ・ザ・マジック・ドラゴン」という曲を歌っている
‘♪パフ、魔法の竜が~、暮らしてた~’という唄いだしのあの歌
今ではドラゴンが怪獣になってたりするが、幼児英語教育の定番ソングでもあり
NHKの「おかあさんといっしょ」とかでもお馴染みの曲である
この「パフ・ザ・マジック・ドラゴン」は
ピーター、ポール&マリーによる大ヒット曲だということは誰でも知っている
レターメン
高い人気を誇った男声3人の
ヴォーカル・グループです
当時、ソフトロックの代表とも云われた
ロックとは程遠いコーラスミュージック
The Lettermen
日本語にすれば「手紙男たち」
ザ レターメン の公式サイトを見るとLETTER は「手紙」ではなく「文字」らしい
手紙と来れば郵便
そして何よりこの歌が時代を思わせる物である歌詞がいい
夏の間逢えなくなる恋人に毎日キスで封印して手紙を送るという
内容でなんともほほえましい情景だ(『涙のくちづけ』)
エリック・カルメン
代表するメロディ・メーカー
そんな彼も苦悩時代が続き
ラズベリーというグループで
一躍スターに上りつめた
しかしほとんどの曲を作り、
演奏し、唄う、エリックひとりに負担がかかり、解散に追い込まれてしまう
ソロとなったエリックは
あの不滅の名曲「オール・バイ・マイセルフ」でデビューし
いきなり大成功をおさめた
大ヒットした映画『ブリジット・ジョーンズの日記』の劇中で、
主人公が夜中にひとり絶唱するシーンが出てくる
女性の共感を呼んだシーンだったが
そこで熱唱されるのがこの『オール・バイ・マイセルフ』
BTO
彼らの公演は
一曲目から総立ちのスタート
私も興奮しながらの演奏に
彼らの釘付けとなった
カナディアン・ロック・バンドである
1970年にランディ・バックマンを中心として結成され、
C.F.ターナー(b)、ティム・バックマン(g)、ロビー・バックマン(ds)
C.F.ターナーを除いた3人が兄弟であり
ランデイはカナディアン・ロックの草分け的なバンド、ゲス・フーのメンバーでもあった。
日本でも3枚目の「ノット・フライジャイル」(1974年)の頃から人気が出始めた
(1976年 大阪厚生年金大ホール)
夏の日の恋
BGMに流れてきそうなメロディ
しかしそれは
れっきとした映画音楽の名曲
「夏の日の恋」
デルマー・デイビス監督の
『避暑地の出来事』の中の曲だ
作曲はマックス・スタイナー(1888年ウィーン生まれ)。
彼は“コンチネンタル”、“タラのテーマ”、“カサブランカ”、“進め竜騎兵”、
“汚れた顔の天使”、“三つ数えろ”、“恋愛専科”などなど、
1930年代から60年代までの長きに渡り、多くの映画音楽を手がけました
代表的アメリカ映画音楽家だ
しかし、この映画が記憶されるゆえんは、
なんといっても映画音楽の素晴らしさかも
パーシ・フェイス楽団のスローなリズムと甘美なメロディーは、
うっとりと夢見心地で楽しめます
わたしもこのメロディが流れるだけで
甘くほろ苦かった20代の頃の恋愛を浮かべてしまいます
キャロル・セラ
曲名を探しながら
フランス語だと
ジャケットのイメージで
これだ!そう思って買った
そしてパソコンをいじりながら聴いた
確かにフランス語が流れてくる
でもフレンチじゃない
CES BEAUX JOURS
「あの日に帰りたい」
ユーミンのカバー曲だった
AMOUR SENS UNIQUE
「少しだけ片思い」
なんだこのアルバムは
ユーミンのカバーアルバムだった
まぁ~BGMとして聴けばコレもありかな?
ハパ
ゆる~い雰囲気の中に
アロハスピリッツが織り込まれた
極上のリラクゼーションを演出
BGMとしてかけるだけで
ハワイへトリップできる
素敵な音楽を提供してくれます
ハワイの音楽には目がない私も彼らの音楽は聴いたことがなく
雑誌で名前だけ知っているだけだった
昨日、CDショップで見つけたときには
思わず声には出さなかったが「イェ~見つけた!」っていう気分でした
彼らの音楽を聴いてみると
私の耳に、私の心にすんなりと入り心地いい感触を与えてくれました
ビージーズ
外国アーチストのレコードが
ビージーズの「イン・ザ・モーニング」だった
今ではバリー・ロビン・モーリスの
ギブ三兄弟で
有名になったが(ロビンとモーリスは双子)
当初は5人グループだった
そして誰でも知っている映画「小さな恋のメロディ」で一躍ヒットになった
名前が広がった
この映画は私にとって初めて女の子
(好きだった子)と行った映画だ
1971年の映画だから中学の1年生だったような気がする
もうこのレコードは私にとってバイブルのような存在で
磨り減るくらい聴いたアルバムのひとつだ
そして70年代後半になるとこの曲がヒットのつながりとなっての
ディスコブームにのって映画「サタディ・ナイト・フィーバー」が輝いて
「ステイン・アライヴ」「恋のナイト・フィーヴァー」でヒットを生み
ビージーズ路線に拍車をかけたところで
しかし2003年1月、53歳という若さでモーリスが急逝
ビー・ジーズの45年もの歴史はその幕を閉ざした
でも未だにこの曲がラジオから流れると
目頭がジーンと熱くなりつい、口ずさんでいるほどの名曲だ
ジェシ コリン ヤング
ニール・ヤング、クロスビー・スティルス&ナッ シュ
アメリカのフォークでも少し泥臭さの残る音楽から少し離れた爽やかな
青空のイメージする音楽
ただ単なるイメージしか過ぎないのは判っているが
果たしてそれがどんな声をしていてどんなサウンドなのかもただ
カリフォルニアの青い空のどこまでも透き通った感じ
(もちろんアメリカには足を踏み入れたことがなのでイメージでしか表現できない)
この時期、ある一冊の音楽誌を購読していた
ミュージックライフといって月刊誌だ
そこにあるミュージシャンの特集が2回に分けて掲載された
それが「ジェシ コリン ヤング」という一人のミュージシャンだった
60年代にニューヨークはヴィレッジのフォーク・シーンでスタートし
ソロ作をリリースするものの、有名になったのはヤングブラッズを結成してからだ
そこで、「ゲット・トゥギャザー」の特大ヒットを放った後に
ソロ再デビューと相成った
彼の音楽性は、他のシンガー・ソングライターと比べても少し変わっている
フォークをベースにR&Bやジャズなどの黒人音楽の影響を取り込み
それらをとことんソフィスティケイトさせ、
オリジナルのフュージョン風フォーク・ポップに仕立てているあたりが個性
そのようなことが掲載されていたと
そして待望の来日決定したときには誰よりも早くチケットを取った
確か、大阪厚生年金会館だったと思う
今回は前列の何番目までは記憶がないが結構と前の席だった
何曲か行ったところから前列が総立ちになり
釣られて私も・・・そしてお腹?胸の辺りがステージに当たって
ステージの台を手で叩いている
しかも憧れのジェシはもう目の前だ
1m先には彼がいる
もう興奮状態で音楽を聴いているのを覚えている
現在ではハワイへと移住し、
コーヒー農園を営みながらのマイペースな音楽活動を続けているらしい
気になる不思議な歌詞
少年はいつまでも いつまでも片思い
情熱に情熱にお値段つけられない
お父さんkeep trying, trying
お母さんkeep trying, trying
お兄ちゃん、車掌さん、お嫁さんkeep trying, trying
auのモバイル・サービス「LISMO」キャンペーンのCMに流れている
リスのキャラクターが、配信サービスから音楽をダウンロードして楽しむというシルエットに
載せて流れてくる宇多田ヒカルの新曲「Keep Tryin’」だ
CMスタートと同時に「宇多田の新曲だ!」と
誰の耳にも明らかだったことだろう
そのくらい目にかわいく、耳に新鮮なCMである
唄いだしの歌詞は結構かっこよくて
I don't care about anything
どうでもいいって顔しながら
ずっとずっと祈っていた
無い物ねだり
ちょっとやそっとで満足できない
だからkeep trying
しかしこれもよく聞くとおもしろいヒッキーの面白い歌詞に引き込まれていく
まさしくヒッキーワールド世界に・・・
「タイムイズマネー」
将来、国家公務員だなんて言うな
夢がないなあ
「愛情よりmoney」
ダーリンがサラリーマンだっていいじゃん
愛があれば
そしてさらに・・・もっと面白くなってどんどん引き込まれてもうここまで行くか~って
どんぶらこっこ
世の中浮き沈みが激しいなあ
どんな時でも
価値が変わらないのはただあなた
もう私は完全にこの歌の虜になっちゃいました
そして何気なくいつも口ずさんでいるでは。。。
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マービン・ゲイ
71年に発売された
名曲「ワッツ・ゴーイング・オン」だった
今まで、ソウルはよく聴いていたが
彼の音楽は何か違った・・・まさしくこれがソウル(魂の叫び)だと確信
トップアーティストだったマービン・ゲイは
84年神父でもある父マービン・ゲイ・シニアに銃で撃たれて突然の死を迎えた
常日ごろから母に暴力を振るっていた父
マービンと父は、このことでよく口論していた
そしてエスカレートした口論の末、父親から射殺されマービンは帰らぬ人となりました
母をかばい父に射殺されたのだ
そんなマービン・ゲイの歌でも
ダイアナ・ロスとのデュエット「ユア・エブリシング」は誰でも知っているだろう
そして82年にリリースされたマービン・ゲイの名曲「セクシャル・ヒーリング」は
マービン・ゲイを知らない人も是非聴いてもらいたい曲だ
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エリック・クラプトン
その間は、彼の在籍していた伝説のブループ
クリームやデレク&ドミノスを聴いていた
その中でも 『レイラ』 という曲は誰でも一度は聴いたことがあるだろう
そして彼は再活動した・・・
そこで出したアルバムが
もう昔のクラプトンじゃない
ブルースでストラトキャスターを唸らすギターは出てこない
しかしこれもクラプトンの一部なのだと割り切り聴いていた
そしてクラプトンが来日した
大阪フェスティバルホールの2階席を確保した
今回は、コンパクトカセットデッキは持っていけなかったが
ポケットのコンパクトカメラを忍ばせていざ会場へ・・・
このフェスティバルホールの2階といっても現実には4階だっただろうか
もう会場でも上の上、これ以上はないというくらいの上の席
ガ~ン!
音響は後ろにいくほど最高のものが聴けるが
クラプトンはどこ?
米粒くらいの大きさのクラプトン
顔どころか姿自体も米粒のクラプトン
そして演奏したのはブルース中心の演奏
このアルバムからの曲は一曲もなかったような・・・
あとの希望はひとつ
アンコールでもいいから「レイラ」が聴きたい!
しかし
あぁぁぁぁぁ。。。。ただのクラプトンだったぁぁぁぁぁ。。。。。
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中 孝介
今のイチオシを紹介します
奄美出身の若干25歳
2005年9月にインディーズ・ミニアルバム「マテリヤ」をリリース
2005年年間インディーズ・ポップスチャートで堂々の5位を獲得
現在も奄美大島を中心としてライブなどの音楽活動を精力的に行っている
彼の「それぞれに」を聞くと
4月から巣立っていく息子たちの卒業応援歌に聞こえてなりません
その歌詞から・・・
そよ風が告げる春の訪れ
咲き乱れる花の香りに
遠い君を想う
春の陽に見守られて
花が咲くように
いつかは希望の陽が
照らすでしょう
それぞれにそれぞれの
決めた道を歩き
いつの日か微笑んで
又会えるその時まで
それぞれの決めた道、自分で決めた道を思い切って歩んでもらいたいです
これからの人生は山あり谷ありです
それにくじけず立ち向かっていく気持ちさえあれば
どんな苦しいものにも耐えていけるものと思います
そしてまた会うときは微笑んでいられるように頑張ろう!
黄昏が告げる秋の訪れ
移り行く紅の空に
遠い日々を想う
秋の陽に見守られて
実り成るように
いつかは君の夢も
叶うでしょう
それぞれにそれぞれの
決めた道を歩き
いつの日か微笑んで
又会えるその時まで
あの日交わした約束
僕らが描いてた
未来はどんな色に
染まるのでしょう
あなたがどんな仕事に就いていようがどんな生活をしていようが関係ありません
常に頑張っていればきっといいことがあります
前を向いて一歩づつ歩んでいってください・・・
atari kousuke (彼のオフィシャルサイトです)
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ウィッシュボーン・アッシュ
ブリティッシュロックの中でもメロディラインがしっかりとした音楽で
ツインギターが光るグループだった
フライングV を弾いていたアンディ・パウエルとストラトキャスターのテッド・ターナー
ベース&ヴォーカルのマーティン・ターナー、ドラムはスティーブ・アプトン
来日する1年前に発売された2枚組みのライブ盤 「 ライブデイト 」を買って
これは絶対に見逃せないと・・・
それがこのアルバムの直後にテッド・ターナーが脱退し、
新加入したのが、ローリー・ワイズフィールドといってちょいとかわい系のギタリスト
だから日本公演も新生ウィッシュボーン・アッシュになったのだ(残念・・・)
ローリーといえば、女の子のキャーキャーといわれるようなメンバーで
音楽性もガラリと変わった・・・何故かって?
プロデュースもイーグルスやJ・ガイルズバンドを手がけていたビル・シムジクに変わった
これでブリティッシュからアメリカナイズされた音楽に移行されたのだ
ツインギターは消えずに、この二人で保たれてはいたが
われわれウィッシュボー・アッシュファンが追い求めているものとは大きな隔たりが
ここからは私もどうなったかは不明です
追いかける気持ちも失せてしまったグループです
「 ライブデイト 」 唯一このアルバムで・・・
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アメリカ
国の名前ではなくグループの名前でもある
なぜか私の行ったコンサートのグループは
後に解散したかメンバーが抜けてしまうようなグループが多い
その中でもこの3人組のアメリカも日本初公演(大阪厚生年金ホール)のあと
ダン・ピークが抜けてデュオになった
彼らの代表曲でもある「名前のない馬」(はっきり言ってこれ以外にヒットは出ていない)
の一曲を引っさげて来日したようなものだった
でもこの曲がアメリカのビルボード・ヒット・チャートで1位に輝き、
同年のグラミー賞ベスト・ニュー・アーティストに選ばれたのだ
その後「金色の髪の少女」で再びヒットが生まれて
再来日したときには「日本人で髪が綺麗な女の子コンテスト」なんかもやっていた
選ばれた女の子も今頃は、もう50歳を越えているおばさんかな~
その後のアメリカは・・・果たしてどうなったのやら知っている人いますか?
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キャット・スティーブンス
キャット・スティーブンスを知ったのは高校時代のときだから
やはり70年代だったのだろう
このレコードを手にしたのは彼の音楽もまだ耳にせず、ジャケットが気に入ったからだ
私は常に人のあまり聞かない音楽を求めるところがある
このスティーブンスがそんなミュージシャンだったのではないが
私の周りではあまり聞かない音楽だったのは間違いない
それは、なんとなくジャケットを見て雰囲気がつかめる音楽だろうと・・・
そしてその名が世界に知られたのは
Morning Has Broken (日本名:雨にぬれた朝)が1971年にヒットしてからです
そしてこの音楽もコマーシャルで使われたから一度は耳にした人もいるかも?
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カーペンターズ
彼等(兄妹)が日本に初来日した
これも珍しく神戸公演が開かれた
そうそうあれは来日前の暮れに
「来春!カーペンターズ&ニール・セダカ公演」(神戸中央体育館)
というポスターが街角に貼られていた
心ウキウキ気分でチケットを取り早く春が来ないかと指をくわえながら待ち望んだ
ところがニール・セダカは病気で来られなくなりカーペンターズのみの来日となった
今から思えば何故?
これを企画したところはちゃんとしたホールを使用しなかったのかと
私はその何年か前にイーグルスの神戸公演をカセットテープに録音した経験で
この日も同じようにしてバインダーに忍ばせて録音を決行した
考えてみればここは体育館だ
音響設備なんて全くないホールだけに
音が反射してワォ~ン・ワォ~ンとしか録音できていない始末だった
いま、あらためて彼らのCDを聞きながら
録音なんかしないで音楽を楽しめばよかったと後悔するばかりです
だってカレン(妹)が、もう世の中にいないということは
二度と生のカーペンターズを聴くことは出来ないのですから。。。
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イーグルス
あれから30年も経つんですね~
遠い昔の思い出です・・・
イーグルスとは、
「ホテル・カリフォルニア」で一躍トップに登りつめて誰でも知っているグループだ
このイーグルスが初めて日本に来たのが1976年で
その公演会場に神戸が選ばれたのだ
当時、大物ロックグループともなると関西では
大阪フェスティバルホール、厚生年金大ホールのどちらかしか使わない
それが初来日に神戸公演とは行かなきゃ後々、悔いが残るだろうと思い
即、チケットを買った(以外に簡単に買えたのが今から思うと不思議だ)
しかし、私は当時このグループの存在は知っていたが
彼らの音楽たるものをいっさい耳にしたことがなかったので
この時期に一番新しいシングル盤を買って聞いたのが
1975年の作品 「 One Of These Nights (呪われた夜)」
これ一曲のみを何回も聞いただけでイーグルス通になった気分でいた
コンサート当日、私は今の息子と同じく受験時期だったので
予備校に通っていた
当時、予備校生とか大学生の持ち物といったらカバンに勉強ものを入れず
バインダーにベルトを十字に縛って持つ格好が流行っていた
私は事務で使うような茶色の事務バインダー(15個くらい穴が開いているもの)に英語の辞書を挟みこんで専用ベルトで縛って持ち歩いていた
そしてこの日は初めから辞書は入れておらず辞書のケースの中にラジカセ(録音タイプ)を忍ばせて
予備校生が帰りにコンサート会場へ来たのを装ったのだ
これも当時のコンサートには開場するなり持ち物チャックや大きな手提げ袋は中には持って入れず、
入り口で預かり札と交換されていたのを知っての犯行です
私は預けられないようにしてそのままごった返していた入り口から会場の席へまっしぐら
もう心臓がドキドキもんでしたのを覚えている
しかしいとも簡単にそれを出来たのも神戸公演だから出来たのです
もうそれより以前から神戸の会場は日本人のコンサートで十分に熟知していたからだ
そしていざ、会場が暗くなりはじめるとゴソゴソとバインダーの紐をはずして
コンパクトラジカセのスイッチを入れ録音開始!
あ~今でもあの感動はちゃんとカセットに残っていますよ~
周りの雑音も多いが
「テイク・イット・イージー」のイントロが始まった途端に
背筋がゾクゾク ~とね ・・・
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ミーハー?
「青春のうた BEST Collection 創刊号」
買っちゃいました!
やはり青春というくらいだから
中学生時代~高校生時代にレコードを集めていたフォークである
「あのすばらしい愛をもう一度/加藤和彦と北山修」
これは昭和43年だからまだ10歳くらいだったが、フォーククルセイダースの
「帰ってきたヨッパライ」は子供ながら衝撃を受けた音楽だ!
そしてこの歌は中学最後の音楽会でクラスで合唱した歌だけに思い入れは大きい
「神田川/南こうせつとかぐや姫」
昭和48年だからもう高校1年くらいかな~高校時代は一番よく聞いた音楽が
このかぐや姫とか井上陽水だったような・・・
「誰もいない海/トワ・エ・モア」
やはり札幌オリンピックの入場行進曲だった「虹と雪のバラード」だろう~
「花嫁/はしだのりひことクライマックス」
これも昭和43年だから「あのすばらしい・・・」と同じ時期
作詞も北山修だから60年代フォークカレッジの流れだ!
「青春の詩/吉田拓郎」
代表作「結婚しようよ」で
僕の髪が肩まで伸びたら~♪って歌っていた拓郎も今は髪の毛がどこに???
「心の旅/チューリップ」
昭和47年だけどなんか新しい感じがするのは、
財津和夫がまだ頑張ってるからかな?
でもこの歌は姫野くんが光っていた!
ところで・・・
こんなの買うなんてミーハーなのかな?私って・・・
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エルトン・ジョン
エルトン・ジョンです
お気に入りは「イエス・イッツ・ミー」でレコードが磨り減るくらい聴いた
「僕の歌は君の歌」「ホンキーシャトウ」「クロコダエル・ロック」「ダニエル」
イギリスのチャールス皇太子の奥さんだったダイアナ妃の追悼曲にもなった
「キャンドル・イン・ザ・ウインド」はエルトンは知らない人でも耳にしたことがあるだろう
そしてつい先日、
12年ものパートナーでもあるカナダ人映画監督のデビッド・ファーニッシュ(43)と
結婚をしたのだ!
え!エルトンって女?
これはイギリスの法律の下で合法化した同姓婚の最初の結婚式となる
つまりゲイの結婚式なのだ
どっちが女?どっちが???
テレビのニュースでは二人ともモーニング姿だったが
実はエルトンがウェディングドレスを着ていたそうな・・・
しかもデザインはドナテラ・ヴェルサーチだった
うっそ~
そう思うでしょ・・・
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ネッド・ドヒニー
そのCDを探し出したのだ!
AOR
アメリカや海外市場ではアルバム・オリエンテッド・ロックの略
シングルで出さないグループの意味である
例えば、ピンクフロイドやイエスのようなプログレッシブ・ロックの事
しかし日本独自に呼ばれたAORとは
アダルト・オリエンテッド・ロックと略され
大人向けの洒落たカフェで聴くようなロックの事を指す
特に代表されるのが、
ボビー・コールドウェル、ボズ・スキャッグスなどが有名だ
そしてこのネッド・ドヒニーもAORとして呼ばれている
昔、レコードを買う場合
もちろん視聴っていうものがあればいいが
当時、よほどレコード屋さんの人と親しくならない限り
視聴ってさせてもらえなかった
だったら、レコードジャケットを見て雰囲気で購入する
または、友人からのお勧めとか
音楽雑誌のレコード寸評などを見て買うしかなかった
そしてこのアルバムも
ジャケットを見た雰囲気で買った
そして自分なりに正解したアルバムのひとつです
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ラジオから懐かしいメロディ
中学生になってフォークギターを弾き始めた
友達の影響もあるが、フォークの全盛期だった
私のお気に入りは 『 ガロ 』
もちろんまだテレビになんか出ていない頃のガロだった
レコードを買い、雑誌を買い、情報を得てコンサートにも行った
ファン心理というものは難しいもので
ガロは我々の青春の原点であってほしい
その為にもあまりメディアには出てほしくない
メジャーにはなってもらいたくないのだ
しかし彼らは(彼らでなくても)音楽家は売れてなんぼの世界のいる
レコードが売れ、人気が出て、メディアにも出て売れてほしい
そこでファンとのギャップが生まれてくっるかのように
「学生街の喫茶店」という歌が売れ
彼らはメディアに露出する機会が増えた
そうなると音楽思考も少しづつ音楽路線が変わってくる
つまり売れるような作品を書こうとしてくるのだ
でも我々ファンはいつまでも原点であるガロが好きなんです
昨日、滅多に流れない彼らのナンバーが流れて涙が出そうになった
「地球はメリーゴーランド」
まわる~まわるよ~地球はメリーゴーランド~
まわる~まわるよ~あなたを乗せながら~
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ニコレッタ・ラーソン
「 ニコレッタ・ラーソン The Very Best oh Nicolette Larson 」
私は、1979年に「 溢れる愛/歓喜の天使 」で日本初上陸したレコードを買った。
レコードの針を落として、すぐにこのメロディが衝撃的であった(Lotta Love)
これは絶対に ドゥービーブラザーズだ!
彼らの歌に間違いないと・・・ よくは似ていたが、二ール・ヤングの作った曲だった
そして先日、ネットで調べていたら
「彼女、ニコレット・ラーソンは、7歳の娘を残して、97年12月16日、45歳で脳浮腫で亡くなっていた......。」と
デビューして10年足らずで他界していたとはショックでした
そしてこのベストアルバムは、1999年9月15日に発売されたものだ・・・
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ケアリイ・レイシェル
学生のころにハワイの音楽を聞くようになってから
ハワイ語の詩を聞いていると 心が落ちつくひとときだ!
意味はわからない
しかし、読み方はある程度は習得はしたつもり・・・
年末に「ケアリイ・レイシェル スウィート・アイランド」を手に入れた
初めてケアリイを見たときはハワイのムキムキマン
しかし声は一級品の澄んだ声の持ち主だ
なぜかハワイの音楽シーンには小錦のようなデブッチョの体つきが多い
しかし彼らの声は身体とは正反対に透き通った声をしている
あ!どこかで聞いて曲だ。。。
「 IN MY LIFE 」
たしか・・・ビートルズの曲に違いない
「 NOW AND FOREVER / SWEET MEMORY 」
これは、リチャード・マークスだったかな?
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